九谷吸坂窯便り 第13回

「九谷吸坂窯」建設、その土地の売買と、登記は何かと見通しがついたが、工房兼住居の建設については、二進も三進もいかなくなり頭を抱えていた。そのような時、小松滞在の折に定宿にしていた旅館の主人に愚痴をこぼしたところ、紹介してくれたのが蓮井棟梁だった。蓮井さんは身の丈六尺の偉丈夫、濃い眉毛、大きな目がやさしい人だった。事情を話すと「よく分った、何とかする」と引き受けてくれた。吸坂にやってきた蓮井さんは首尾よく悪党職人どもを総入れ替えし、仕事にとりかかった。棟梁は先生の古九谷につながる九谷焼制作への熱い思いに共感し、損得なしで働いてくれ、建物は出来上がった。蓮井棟梁の出現が挫折の危機を救ってくれたと言えよう。

但し、問題はあった。一つは水のことで、吸坂町は平野部に突き出た丘というか高台にあるため、水道の出が悪かった。そのため地下水を汲み上げてみたり、水を溜めるタンクを高い所に作ったりした。今は水道の圧力が増し、水の問題は解決している。他の一つは経済問題。先生の経済環境は比較的恵まれていたとは言え、それほどの余裕はなく、建設資金は銀行からの借金ということになり、その返済に苦労することになった。私も先生と一緒に大皿を持ってある人を尋ねたことがあった。その時はうまくいったが、大阪まで思い皿を抱え、わざわざ行ったのだが断られたこともあった。一九七二年に大聖寺の清水喜久男さんが「九谷吸坂窯」直売店の暖簾をあげてくれたことで大いに助かり、経済問題も一応乗り切ることができた。

吸坂という場所は、地図上、加賀市の真ん中の位置しており、国道八号線のそばで、山代、山中温泉へも近いという好位置にある。そのせいか、まずは観光業者に目を付けられ、谷に水を溜めて釣堀にしませんかなどと、とんでもないことを言ってきた。ドライブインをやっていたこの業者は、それから間もなくして倒産し、そのあとにやって来たのが土建屋。山向うの隣接地で、連日、重機でぶっ壊した建材を、掘った穴の中に投げ込み、燃やしていた。このことは法律で禁止され、止んだと思ったら、山を削り、住宅会社と結託して宅地を作ろうとした。これもバブルがはじけてその住宅会社は破産した。ところが、地面を作るために谷を埋め、杜撰な工事をやったので、「九谷吸坂窯」のある両側の谷に生活廃水と雨水が溜り、増え続けていた。谷に半分近く土を入れて側溝を設置することで解決する他なく、止むを得ず私たちはその案を呑んだ。重機の騒音に悩まされる日が続いたが、曖昧だった境界を確定できた。しかしその後、景観破壊のゴルフ関係の施設ができ、問題は尽きることはない。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.45(2017年4~6月号)に掲載されたものです

Comments are closed.