加賀平野の西端に、なだらかに突き出た丘陵の一角に九谷吸坂窯があります。

古九谷ゆかりの地、大聖寺町まで1キロ余、付近を流れる大聖寺川を約20キロ溯れば古九谷窯跡です。 古九谷五彩の調和に共鳴した硲伊之助はここを永住の地と定めて東京から移住し、築窯、没するまで制作を続けました。 硲伊之助美術館は、雑木や竹、松などに囲まれたこの九谷吸坂窯地内に、木舞土壁に白漆喰や焼杉仕上げなど、木造の伝統工法によって作られました。その中に色絵磁器を中心に、油絵、版画などの硲伊之助作品を展示しています。

硲伊之助美術館は、洋画家・陶芸家 硲伊之助の作品資料を保存し、一般に公開するため1994年に開館しました美術館です。

硲伊之助について

1895年 11月14日東京市に生まれる。父母は和歌山県出身。
1911年
(16歳)
慶応義塾普通部中退、日本水彩画会研究所研究生となる。
1912年
(17歳)
第1回ヒューザン会展に参加。
1914年
(19歳)
第1回二科賞(第5回展でも二科賞)を受く。
1921年
(26歳)
クライスト丸で渡欧。
1928年
(33歳)
ロラゾン・アデリア・エルビラと結婚。
1929年
(34歳)
帰国、第7回春陽会展に滞欧作品を特陳。
1933年
(38歳)
渡欧、ルーブル美術館で「日本木版画展」を開く。
1935年
(40歳)
帰国、第22回二科展に滞欧作品を特陳。
1936年
(41歳)
二科会を脱会、一水会設立に参加。
1938年
(43歳)
最初の中国旅行。
1940年
(45歳)
陸軍省嘱託として中支に赴く。
1941年
(46歳)
文化学院美術部長となる。
1944年
(49歳)
東京美術学校(現芸大)助教授となる。
1947年
(52歳)
日本美術会委員長に就任。
1950年
(55歳)
芸大を辞す。マティスに招請され渡仏。翌年開催のマティス展及びピカソ展、ブラック展の折衝に成功。
1951年
(56歳)
帰国。この頃より九谷焼制作を始める。
1954年
(59歳)
中国の国慶節に招待される。
1959年
(64歳)
一水会に陶芸部を創立。
1962年
(67歳)
加賀市吸坂町に築窯。
1963年
(68歳)
「現代日本リアリズム絵画展」開催のため訪中。
1964年
(69歳)
渡欧。アルバニアに三か月滞在。
1972年
(77歳)
ベルギー、オランダ、イタリアで外務省主催の色絵磁器展を開催。
1974年
(79歳)
高岡市立美術館及び和歌山県立美術館で回顧展を開催。
1977年
(82歳)
8月16日加賀市吸坂町にて永眠。
1983年加賀市美術館で回顧展開催。
1994年硲伊之助美術館開館。

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