九谷吸坂窯便り 第18回

 「色絵横山」の横山英昭さんが、初めて九谷吸坂窯へやって来たのは十代後半だった。絵画教室の先生に伴われてのことだったが、横山青年に硲伊之助先生が「ロクロもデッサンだよ」と言ったそうだ。それ以来約五十年、横山さんとの関係は続いたことになる。何となく続いたということではなく、その関係は深まったと言うべきだろう。「色絵横山」開設につながっていくのだから。

 この間、年に何回かやって来ては談笑し、食事を共にすることもあり、時には近在の珍しい風景、滝や渓谷を案内してもらったり、展覧会に行ったりもした。

 しばらく音沙汰のない時期もあったが、あとで聞くと、芸術系の大学を出て、地元の九谷焼窯元で働いたのち、高校の美術講師をしていた。その頃、彼の祖父が住職だった願船寺という浄土真宗の寺の後継をどうするかということが問題になった。横山さんはすでに得度してその資格をもっていたのだが、自分の将来について大いに悩んでいたのだろう。悩みの相談らしい話をしたことはなかったが、自身で考え、結論を出し、着々と動いていったように思える。

 願船寺は小高い丘の上にある小さな、山寺という趣で佇んでいる。横山さんは、本堂、鐘つき堂、山門、続々と修理していった。元々植物が好きで、庭の整備にも一段と力が入り、寺を訪れた人に自慢の枯山水を見せてくれる。

 横山さんは、この半世紀近く、九谷吸坂窯に通って話をし、お茶を飲んでいただけではなく、その時、その場で目についたお皿や陶板など、気に入ったものがあれば購入していた。その作品が相当数たまったかもしれなかったが、本堂を修理する時に、それに続く休憩、談話室が九谷吸坂窯作品を展示できる空間となった。それがそのまま「色絵横山」になったのだ。

 海部公子が自作品について「使うなんて考えていません。拒否していると言ってもいいでしょう」と言ったことがあるが、横山英昭さんはその真意を理解したのだろう。むろん使うもの、食器、茶器などを作っているのだが、色絵磁器の根幹は、絵画としての制作であり、その絵画の根本は色彩調和を求めるところにある。それらをそして、それにつながる生活態度を横山英昭さんと共有したから関係は続き深まったと思っている。

九谷吸坂窯便り 第17回

 硲伊之助作「九谷色絵鳥越村採石場大皿」は一九七五年の制作ですので、先生が亡くなる二年前、最晩年の作品になります。直径54㎝という寸法は、九 谷焼では尺八の大皿ということで最大のものです。

鳥越村というのは、白山を源流とする手取川の中流、一向一揆に縁のある地ですが、平成の合併の時に、鳥越の地名は勿体ないことに消えてしまいまし た。

 手取川上流に向って左側に国道があり、そこを走ることはあっても、川の右側を通ったことはなかったのですが、たまたまそこを通ることがあり、道路際に陶石採石場の看板を見たのでした。こんな所で陶石を採っているのか、どういうふうになっているのかと、九谷焼をやっている者として関心をもったのです。ハンドルを切って山道を登ると、すぐに採石場の現場に着きました。  そこは九谷焼ではなく西洋陶器の採石場でした。人影はなく、操業されていませんでしたが、廃止になってそれほど経っていないように思えました。廃 虚というすさんだ感じではなく、時間が止まったような空間。それはこれまで見たことがない風景でした。

 先生は風景、人物、静物、どれに片寄ることなく絵になるものであれば作品にしています。人物の場合は絵になると思っても、モデルになってもらうためには、相手のあることですから簡単なことではありません。静物は、例えばあやめはどこまで行ってもあやめなので、再び同じモチーフを描きたくなるには、その時に新たな、ちょっとした発見、かすかではあっても感動が必要です。ある時、先生に「花屋に行って水仙でも見てきましょうか」と言ったら、「水仙は随分描いたよ」と言われてしまった。風景は、場所によって異なっているとはいえ、描けるモチーフは案外少ないものです。長く絵を描いていると大抵のものは描いており、容易には描きたい対象は見つかりません。何を描くかが決まらないことには一歩も進まない。何よりも対象への感動がなければ始まらない。絵描きにとってだけでなく、文学であれ音楽であれ、その表現者にとって、最重要なことはモチーフだと思います。

 晩年、先生はイタリア北部にある赤い色をした民家の集落にどうしても行きたいと思い、ある人にそのための援助を求めたことがありました。新たなモチーフとの出会いが作品世界の展開、深化にはかかせないとの思いからでした。

 鳥越村採石場とは偶然の出会いでしたが、生まれた作品は、絵画の本道に立ちながら、古九谷や九谷焼という制約に縛られることなく、思い切りよく筆が運んで美事です。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.49(2018年4~6月号)に掲載されたものです