夢レディオVol.59 配布中

現在配布中の「夢レディオ編集室 Vol.59 2020年10~12月」の「九谷吸坂窯便り 27」では、現在当館にて初展示中の「サント・ヴィクトワール山」について解説を行っております。

夢レディオ編集室は、福井県丹南地域を中心に県内全域で無料配布中のフリーペーパーです。 お近くにお住まいの方は是非ご覧ください。

九谷吸坂窯便り 第23回

作家にとって、自分が作ったものを、真剣に見、評価してくれる人がいれば、これに勝る喜びはない。
 ものを見る人達の代表が、美術評論家( 批評家)と言えるだろう。彼はものを見る専門家なのだ。
 鑑賞者は「それを見て、あなた自身が感じればそれでよいのだ」ということで、何かしらのことを感じているかもしれない。その作品を見て心豊かになったり、刺激を与えられたり、発見があればそれに越したことはない。何も言うことなしだが、それでは美術評論家は必要ないであろう。
 だが、人々はどこを見て、どのように感じればよいのかにおそらく精通していないのだ。
 作品をより深く、ある意味作家の意思を越えて、理解しようとする人はほとんどいないかもしれないが、作家が生命を削って取り組んだ作品であるとすれば、ただ漠然と見るのではなく、もう少し真剣に見てほしいのだ。
 「どこを見て、どう感じるのか。」そんなことは大きなお世話だと言われれば、それまでだが、評論家の役割は決して小さくない。と言っても、一人一人顔の異なる人がつくるその作品を相手にするのだから難しい仕事だ。
 美術評論家(批評家)とは何かと問われれば、作品の良し悪しを判断する人だと言いたい。その名に価する人はどれだけいるのだろうか。美術史家や作品背景解説者はいても、作品そのものについて評価する人はいない。つまり作品を良し悪しで判断しようとしていない。その判断の基準、批評の方法をもっていないのが大半だろう。
 硲伊之助は何人かの美術評論家と交流があったが、肝胆相照らすというような関係にはならなかったようだ。
 この六月にかく言う美術評論家(批評家)の椹木野衣(さわらぎのい)さんが硲伊之助美術館を尋ねてきた。東京在住で、金沢での用事を済ませ、足を延ばしてくれた。初対面だったが、五年程前から、年賀状や美術館会報のやりとりをしていた。今回、三時間位対話し、何よりも美術館で硲伊之助作品を見ていただいた。
 帰京後すぐに、硲伊之助美術館訪問を文章にし発表した。それはインターネットマガジン、「ARTiT」で検索し読むことができる。この文章を校正の段階で一読して大いに感心。美術館開館26年、それ以前の活動からは50年近くになる。この間、この文章ほど心に入り、動かされたものはなかった

※本記事は夢レディオ編集室Vol.55(2019年10~12月号)に掲載されたものです

九谷吸坂窯便り 第22回

硲伊之助美術館では、昨年度作品の展示替えを終え、本年度の常設展を開始しています。油彩画は入口から左側壁面、その中央に「南仏のバルコン」、陶器は正面ケースの中央に「夜の月見草大皿」、いずれも硲伊之助の代表作の一つです。
 今回、注目してほしいのは右側壁面です。そこに三点の多色刷木版画、「南仏の田舎娘」、「支那壺の花」、「ヴァンサンヌ公園」が展示されています。これまでも当美術館では、木版画を展示してきましたが、右側壁面に三点並べたのは初めてです。この中の「南仏の田舎娘」は昨年、当美術館友の会会員の会費によって購入したものです。
 左側には窓はありませんが、右側には窓があり、障子からの柔らかい光が木造建築の室内を照らしています。ただし、間接的ではあっても、紫外線は多色刷木版画にとって大敵なのです。木版画の色、そこで使われている植物性の顔料は紫外線にあたると、目に見えて退色します。昔の人は見終えると、すぐに箪笥にしまったそうです。今回展示している「支那壺の花」は保存状態が良好なので、その植物性顔料の繊細な、湿り気があるかのような色合いを味わうことができます。
 他に特徴的なことは、木版画のことを「刀画」と言った人がいたようですが、木版画は筆で描くのではなく、小刀で彫って線をつくります。印刷したものを見てもよく判りませんが、実物をよく見ると彫ってでき上った線であることが判ります。これを筆触とは言わないでしょうが、人間のなせる技として、動体として感じることができます。
 硲伊之助は最初の渡欧時( 一九二一年〜一九二九年)に、ヨーロッパで、日本伝統の多色刷木版画、つまり浮世絵版画と出会いました。日本から英国に来ていた職人にその技術を学び、版画制作を始めました。それは創作版画といわれる自画、自刻、自摺によるものでした。がその後、浮世絵版画を研究し、制作する中で、江戸時代の伝統木版画、浮世絵の分業、協力体制こそが、作品の質を低下させないやり方だと気づきました。
 現代日本の木版画制作の現場では、この分業、協力体制は受け継がれているのでしょうか。さらに春信、歌麿、広重、北斎たちの優れた作品を、自分の制作の原点とし、それを継承するという意識で取り組んでいるのでしょうか。棟方志功をはじめとする創作版画の作り手たちは、江戸時代の浮世絵版画を原点としているとは到底思えません。自身の制作の原点は何なのか。どこに立って、何を継承しようとしているのか。明確な自己認識なくしてどこに行こうとしたのでしょうか。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.54(2019年7~9月号)に掲載されたものです