硲伊之助美術館では、昨年度作品の展示替えを終え、本年度の常設展を開始しています。油彩画は入口から左側壁面、その中央に「南仏のバルコン」、陶器は正面ケースの中央に「夜の月見草大皿」、いずれも硲伊之助の代表作の一つです。
今回、注目してほしいのは右側壁面です。そこに三点の多色刷木版画、「南仏の田舎娘」、「支那壺の花」、「ヴァンサンヌ公園」が展示されています。これまでも当美術館では、木版画を展示してきましたが、右側壁面に三点並べたのは初めてです。この中の「南仏の田舎娘」は昨年、当美術館友の会会員の会費によって購入したものです。
左側には窓はありませんが、右側には窓があり、障子からの柔らかい光が木造建築の室内を照らしています。ただし、間接的ではあっても、紫外線は多色刷木版画にとって大敵なのです。木版画の色、そこで使われている植物性の顔料は紫外線にあたると、目に見えて退色します。昔の人は見終えると、すぐに箪笥にしまったそうです。今回展示している「支那壺の花」は保存状態が良好なので、その植物性顔料の繊細な、湿り気があるかのような色合いを味わうことができます。
他に特徴的なことは、木版画のことを「刀画」と言った人がいたようですが、木版画は筆で描くのではなく、小刀で彫って線をつくります。印刷したものを見てもよく判りませんが、実物をよく見ると彫ってでき上った線であることが判ります。これを筆触とは言わないでしょうが、人間のなせる技として、動体として感じることができます。
硲伊之助は最初の渡欧時( 一九二一年〜一九二九年)に、ヨーロッパで、日本伝統の多色刷木版画、つまり浮世絵版画と出会いました。日本から英国に来ていた職人にその技術を学び、版画制作を始めました。それは創作版画といわれる自画、自刻、自摺によるものでした。がその後、浮世絵版画を研究し、制作する中で、江戸時代の伝統木版画、浮世絵の分業、協力体制こそが、作品の質を低下させないやり方だと気づきました。
現代日本の木版画制作の現場では、この分業、協力体制は受け継がれているのでしょうか。さらに春信、歌麿、広重、北斎たちの優れた作品を、自分の制作の原点とし、それを継承するという意識で取り組んでいるのでしょうか。棟方志功をはじめとする創作版画の作り手たちは、江戸時代の浮世絵版画を原点としているとは到底思えません。自身の制作の原点は何なのか。どこに立って、何を継承しようとしているのか。明確な自己認識なくしてどこに行こうとしたのでしょうか。
※本記事は夢レディオ編集室Vol.54(2019年7~9月号)に掲載されたものです