この春、九谷吸坂窯ではその工房兼住居である萱屋根の修理がなされた。5年前に北側を修理し、今回は南側。太陽の当り具合、樹木の枝の伸び加減、風の吹く方向などによって萱屋根の痛み状態は異なってくる。朝から夕方までお天道さまが出来るだけ平等に当るように家屋が建てられ、周囲に大きな樹木がなく、萱屋根の傾斜が急であることなどが屋根にとって大切になる。と言っても北陸では11月から3月まで天気が良くないので、萱屋根には気の毒である。
いずれにしても萱屋根は時間の経過とともに腐蝕していく。それも確実にそうなるので、出来るだけ上手に腐らせるようにしなければならない。その点は萱手職人の技術によるのかもしれないが、屋根全体を一律に雨水が流れ落ちるような状態が最良だが、どこか一箇所に雨水が集中して流れ出すと、そこは痛みが早くなり、窪みができたりする。雨水は1ミリでも低い方に流れるので、何年か先に窪みが出来るのは避けられないかもしれない。棟に近いところは風通しもよく雨水の量も多くない。軒に近い方は逆なので早目に腐蝕し泥化する。今回も棟に近い3分の1はそのままにして、下の方3分の2を葺き替えることになった。
職人さんは前回に引き続いて飛騨の高山から来てもらった。それ以前は若狭の職人さん達で2代にわたって40年程のお付き合いだった。彼等とは、萱屋根修理の1ヶ月間位、三食をつくり、寝る場所、風呂その他を用意し、寝食を共にするという感じだった。いわゆる3Kを絵にかいたような仕事、蔑みの視線を感じたであろうが、自然に最も近い萱屋根、自然とともにある共同作業。素朴で謙虚さが身についていた。彼等も年をとり、後継者がなく、高山の職人さんを紹介してくれた。
高山の棟梁は2代目で40才。5年前、最初に九谷吸坂窯にやって来た時、「僕は萱が大好きで、萱の中に寝ていてもいいのです。ここの萱屋根は人間の暮しがあるから生きています。こういう萱屋根は今ではほとんどありません。是非仕事をさせて下さい」と言って、私達を感動させた。
今回は、私達も年をとり、三食どころか昼食の用意もできなかったが、彼等は町内の空き家を借りて、冷蔵庫から鍋その他生活道具一式を持参、自炊した。
主な材料である萱は、前回に御殿場の富士山の裾野から取り寄せたものが残っており、それで間に合った。しかし萱屋根が大部分だった往時と違い、これからは材料、人手、あるいは屋根を散髪する大きなハサミなどの道具も入手が困難になるだろう。
天候にも恵まれ無事に作業は終了し、彼等は元気に次の仕事に向かって行った。「文化財」を維持、管理することは楽ではないが、萱手職人から学ぶ
ことは多い。
(夢レディオ編集室 Vol.38掲載)