九谷吸坂窯便り 第20回

硲伊之助美術館の本年度常設展示中の油彩画作品では、「アンゴラのセーター」(一九四九年 80.3×65.1㎝)が、左側壁画の中央に展示されている。この絵のモデルは石塚富美子さん、当時イタリア人ピアティエンティーニ氏と結婚していたので、姓が変ってピアティエンティーニ富美子さん。彼女をモデルにした硲伊之助作の油彩画は「硲伊之助作品集」に掲載されているものだけでも六点ある。最も古いもので一九四〇年作の「I令嬢」、新しいものは前述の「アンゴラのセーター」、彼女は一九五二年に35才で亡くなっているので、「アンゴラのセーター」は死去する3年前の作品になる。
本年度美術館展示作品中に、富美子さんに関係したものが他に二点ある。一つは彼女自身が描いた「硲伊之助像」である。一九四一年作で、硲伊之助46才頃であろうか。夏の陽差しの中で、麦わら帽子を被った先生を大きな葉の植物の中に描いている。94.0×78.0㎝のキャンバスに、対象を大きく把え、迷いなく色が置かれて、気持ちよく仕上がっている。
他の一点は「P夫妻像」(一九四六年 70.0×60.0㎝)。富美子さんとP氏ことピアティエンティーニ氏の夫妻を硲伊之助が描いた作品。戦前、P氏はイタリアからの留学生として日本美術を学ぶために来日するも、同盟国人でありながら、戦争中は収容所に入れられ苦労したとのこと。先生は声楽家を志望していた富美子さんが、イタリー語を習得するためにP氏を紹介した。
硲伊之助はフランス人のロゾラン・アデリア・エルビラと一九二八年に結婚し、日本で暮したが、この国際結婚はうまくいかず別居することになり、間もなく戦争が始まり、アデリアさんはカソリック教徒でもあって、離婚はうまくいかず、籍はそのままになっていた。
その頃のことと、劇作家・小説家の岸田國士さんの娘で、のちに女優になった岸田今日子さんが記した文章がある。硲伊之助と岸田國士は親友であり、先生は岸田國士作の小説のさし絵、装丁などを手がけていた。
「硲さんとPさんが、お互いにどれほど大事に思っているのかは、子供の眼にもよくわかった。わたしは十歳前後だったろうか。子供というのは、本当に何でもわかるのだ」「わたしは硲さんとPさんの中に、大人そのもの、男と女というもの、何かわり切れないもの、けれど美しいもの、哀しいもの、たぶん愛というものを勝手に見つけ、ふくらませ、夢見ていた」(「妄想の森」文芸春秋一九七七年)
硲伊之助が亡くなって41年。現在、ここに登場の人物はこの世にいない。P氏は89才で、二〇〇五年に亡くなったが、その前年に硲伊之助美術館を尋ねている。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.52に掲載されたものです

「サント・ヴィクトワール山」公開中

コロナの影響で準備が遅れておりました硲伊之助作品「サント・ヴィクトワール山」が、8/1より当館にて公開開始されました。
この作品は、硲伊之助が1920年代に描いた、セザンヌが取り組んだ同じモチーフを取り組んだものです。

この時期に描かれた油彩画は絵具層が厚く、現場での幾たびもの写生で塗り重ねられていることが特徴。セザンヌが画架を立てた場所とは異なる角度の構図で、赤土の部分が強く画面を占めているため全体に明るく、勢いを感じさせる力作となっていることが特徴です