新装版 珍品堂主人

2018年1月に井伏鱒二「新装版 珍品堂主人」の増補新版が発売されました。
本作は井伏鱒二と交流のあった硲伊之助が自分の知るエピソードや、骨董品の専門家を紹介するなど作品の材料として使われており、その縁もあり本の表紙には硲伊之助が1966年の作品「九谷上絵麦畑之道大皿」が使われております。
書店等でお目に付いたら、お手に取っていただければ幸いです。

九谷吸坂窯便り 第2回

 「パオロ君」(油彩80.3×65.1cm)は、1952年(昭和27) 硲伊之助が57才の時の作品です。椅子に腰かけているパオロ君は4才。モデルは動いてはいけない。それは大人でもかなりきついことですが、幼い児であればなおさらです。
 セザンヌはモデルに「リンゴは動かない、動くな!」と怒ったそうです。伊之助先生は叱るわけにはいかない。母親のフミコさんがそばにいて、パオロ君に話しかけたりしてくれていました。先生は人物であれ、風景・静物であれ、現場でそのものを見て、感じることを大切にしていましたので、パオロ君を座らせないで、筆を進めることはなかったと思います。完成するまでにどれ位の時間がかかったのでしょうか。画く方も大変だったかもしれませんが、パオロ君もよく辛抱し、そしてフミコさんの協力もあって、一つの作品が仕上ったと言えます。
 ところが、母親のフミコさんはこの年、白血病を患い35歳で急死するのです。パオロ君のまな差しがどこか哀しそうなのは、母との別れを予感していたのかもしれません。伊之助先生は「東大病院に殺された」と嘆き悲しんだそうです。
 パオロ君の記憶に残っているのは病院のベッドに横たわった痩せ細ったお母さん。そして一緒に食べたアイスクリームの甘露な味。幼な児を残し旅立ったフミコさん。母を失くしたパオロ君の胸中も計り知れません。
 元気なお母さんを知らないパオロ君にその姿を蘇らせてくれたのは、硲伊之助作「燈下」でした。その複製を額に入れ、身近に置いていたといいます。スタンドの光の下で読書する母、若くて生き生きとしたその眼が真っ直ぐに自分を見つめ、「パオロ、よく勉強するんだよ」と語りかけてきたそうです。
 6月27日、硲伊之助美術館で、ローマ大学教授になった66才のパオロ君が約10年ぶりに母(「燈下」)と再会しました。美術館では開館20周年記念と、パオロ君が来館することもあって、フミコさんを描いた硲伊之助作「アンゴラのセーター」(油彩)、さらに先生の弟子でもあったフミコさん作の「硲伊之助像」(油彩)など、パオロ君に関連した5作品を展示しています。
 最後になりましたが、パオロ君の父親ミケランジェロ・ピアチェンティーニ氏は2005年、イタリアから硲伊之助美術館を訪れ、硲伊之助作「P夫妻像」(油彩)を寄贈し帰国、その四ヶ月後に89才で亡くなりました。今回、パオロ君が「P夫妻像」を見るのは生れて初めてのことで、新婚時代(1946年作)の両親の姿にしばし見入っていました。

(夢レディオ編集室 Vol.34掲載)

平成30年度 謹賀新年

謹んで初春のお慶びを申し上げます。

昨年は格別のお引立てを賜り厚く御礼申し上げます。
本年も、より一層のご支援を賜りますよう、硲伊之助美術館一同心よりお願い申し上げます。

平成30年元旦 硲紘一・海部公子