九谷吸坂窯便り 第8回

 現在(※)、加賀市の石川県九谷焼美術館では「青手古九谷の世界展」が開かれている(平成28年1月31日まで)。これはJR東京駅構内の東京ステーションギャラリーで8月1日〜9月6日に行なわれていたもので、私は「九谷吸坂窯展」で上京中に同展を見たが、もう一度まとめて古九谷を見ておきたいという思いで会場に足を運んだ。それは本誌前稿で触れた「古九谷についての理解」ということが念頭にあったせいでもある。
 さて、この展覧会での白眉は「古九谷青手白山波潯文山水図皿」(33・2×6・0㎝)であろう。私はこの作品が何故に諏訪地方にあるのか疑問に思っていたが、同展カタログを読み、その間の事情が少しばかり分かった。それによるとこの作品は徳川家康の六男松平忠輝が所持していたもので、忠輝は大阪夏の陣の時、家康から勘当され、家康死後も兄である二代将軍秀忠から改易を命じられ、伊勢国、飛騨国を経て信濃国諏訪に幽閉され、この地に92歳で没したが、忠輝の菩堤寺となった寺院「貞松院」に生前所有していたものが寄進され、その中に同作品があった。
 さらに、忠輝存命の時代は古九谷窯稼動の時期と重なり、また忠輝は加賀藩三代前田利常(古九谷を創始した大聖寺初代藩主前田利治の父)と親交があったとのことだ。
 同作品の図柄は中央にのびやかな線で山が描かれており、この山を白山と見ることもできる。天空は波頭の線描きが施されているのがユニークであるが、これが白山だとすればこの皿が加賀の地で作られたという根拠の一つになり、古九谷伊万里論争に問題、あるいは話題を投げかけることになる。
 そしてこの作品が素晴しいのは、全体の中で、付けられている緑、黄、紫、それぞれの色が透明だということだ。それらの色が整理され、関係し合い、ある種の論理性をもって調和しているということだろう。
 理解力ということで言えば、それは良いものを良いものと感じる力ということになろうか。おそらく瞬時に理屈ではなく、その作品全体の色を感じ、さらに描線を含む筆触がどの程度に対象の生命感を把えているのかを見る力と言えよう。
 私は、硲伊之助のそばに居て、師が作品を前にしている時に、作品のどこを見、どう感じているのかを、それとなく注意深く観察
し、その見方、感じ方を自分自身の身に付けようとしてきた。
 良いものとは何か。一言でいえば、色が調和しているかどうかである。古九谷を含む色彩絵画について他にどのような価値規準があるのか、あるならば聞いてみたい。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.40(2016年1~3月号)に掲載されたものです