硲伊之助作「九谷色絵鳥越村採石場大皿」は一九七五年の制作ですので、先生が亡くなる二年前、最晩年の作品になります。直径54㎝という寸法は、九 谷焼では尺八の大皿ということで最大のものです。
鳥越村というのは、白山を源流とする手取川の中流、一向一揆に縁のある地ですが、平成の合併の時に、鳥越の地名は勿体ないことに消えてしまいまし た。
手取川上流に向って左側に国道があり、そこを走ることはあっても、川の右側を通ったことはなかったのですが、たまたまそこを通ることがあり、道路際に陶石採石場の看板を見たのでした。こんな所で陶石を採っているのか、どういうふうになっているのかと、九谷焼をやっている者として関心をもったのです。ハンドルを切って山道を登ると、すぐに採石場の現場に着きました。 そこは九谷焼ではなく西洋陶器の採石場でした。人影はなく、操業されていませんでしたが、廃止になってそれほど経っていないように思えました。廃 虚というすさんだ感じではなく、時間が止まったような空間。それはこれまで見たことがない風景でした。
先生は風景、人物、静物、どれに片寄ることなく絵になるものであれば作品にしています。人物の場合は絵になると思っても、モデルになってもらうためには、相手のあることですから簡単なことではありません。静物は、例えばあやめはどこまで行ってもあやめなので、再び同じモチーフを描きたくなるには、その時に新たな、ちょっとした発見、かすかではあっても感動が必要です。ある時、先生に「花屋に行って水仙でも見てきましょうか」と言ったら、「水仙は随分描いたよ」と言われてしまった。風景は、場所によって異なっているとはいえ、描けるモチーフは案外少ないものです。長く絵を描いていると大抵のものは描いており、容易には描きたい対象は見つかりません。何を描くかが決まらないことには一歩も進まない。何よりも対象への感動がなければ始まらない。絵描きにとってだけでなく、文学であれ音楽であれ、その表現者にとって、最重要なことはモチーフだと思います。
晩年、先生はイタリア北部にある赤い色をした民家の集落にどうしても行きたいと思い、ある人にそのための援助を求めたことがありました。新たなモチーフとの出会いが作品世界の展開、深化にはかかせないとの思いからでした。
鳥越村採石場とは偶然の出会いでしたが、生まれた作品は、絵画の本道に立ちながら、古九谷や九谷焼という制約に縛られることなく、思い切りよく筆が運んで美事です。
※本記事は夢レディオ編集室Vol.49(2018年4~6月号)に掲載されたものです