九谷吸坂窯便り 第16回

 硲伊之助美術館では、来年四月末日まで、本年度の常設展を行っており、その作品中に初めて展示する油彩画二点が含まれています。
 「南仏風景」 (一九二八年 130×80cm)は硲伊之助が一九二一年、二十六才の時に渡欧、約九年間滞在し、その間に制作したものです。ニース北部のシミエの風景で、現場に通い、一年以上かけて、ジックリと取り組んだものです。油絵がもつ堅牢さ、力強さが、その重ねた厚い絵具によって特徴的です。当美術館には同時期に制作された「水車小屋」という作品が所蔵されていますが、「南仏風景」と共通するものがあります。
 滞欧中の作品はほとんど南仏を中心に、時には自炊しながら(サンシャマ村など)制作したものです。先生はパリやその周辺で風景を描いたことがあったか
どうか。私はその種の作品をこれまで見たことはありません。南仏では空気が乾燥していて色が透明になる。パリではなくアルルにおいてゴッホの作品は開花
したのです。先生は日本の風景は湿度が高いので描きにくいと常々言っていました。日本では春先、気温が上ってくるとモヤモヤした状態になり、まだ冬の晴れた日の方が色彩を感じます。色彩に感動することなしに、良い絵を描こうとしても難しい、苦労するということです。
 「メッシ橋」(一九六五年 60×80cm)はアルバニアで描かれた作品です。アルバニア訪問は、一九六四年に先生が海部公子の欧州美術研修のために渡欧した時、東ドイツの中国大使館で同席したアルバニア大使からの招待によって実現したものです。アルバニア北部の古い街シュコードラ郊外にある、古い石の橋、メッシ橋を見た瞬間、先生はすぐに描き始めたのですが、その時念頭にコロー作「ナルニ橋」があったようです。硲伊之助は一九二七年に「コロー画集」(アトリエ社)を編集していますが、先生のコローについての評価は高く、例えばルーヴル美術館ではダヴィンチの「モナリザ」よりもコローの「真珠の女」の方が優れていると言っていました。特に人物画を認め、風景画についてはイタリアで描いた作品は素晴らしいとのことで、「ナルニ橋」はその中の一点です。緩やかな斜面を下る澄んだ流れの水底に石や苔が見えるようです。
 「南仏風景」と「メッシ橋」の間には約四十年の時間があります。その絵具の層の違いは歴然としていますが、私は共通性を大事にしたい。それは写実的な態度であり、方法だと言えます。先生は決してスタイルから入るのではなく、描く題材を見て、その時その場で感じたことによって、スタイルも決まってくるということです。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.48(2018年1~3月号)に掲載されたものです

九谷吸坂窯便り 第15回

 日頃、腰痛を抱えているとはいえ、これまで大きな病にかかったことはなかったが、血液検査で数値が高い所があり、年一回定期検査を受けていた。加賀市大聖寺にある加賀市民病院に通っていたが、その病院が廃止になり、加賀市医療センターとして、JR加賀温泉駅前に新築移転した。昨年春のことだ。
 その計画は前市長の時に出された。この市長は当地出身だが、長く東京で官僚としてやってきた人で、一種の天下りだった。それを担ぐ人がいて、おそらくそういう人達の間ではこの新築移転案は大分前からあったのであろう。JR加賀温泉駅前ではすでに開発がすすめられ、大型商業施設が進出している。さらに田んぼを潰して開発をすすめようとしていたのだ。
 前市長は現役ながら市長選挙で落選し、移転新築計画は一旦白紙に戻されたかに見えたが、それはポーズだけで、現市長はそれを引き継いた。
 大聖寺にあった市民病院は平成17年頃に改装し、その後人工透析のためにあらたに施設を補充している。建物が古くなったという感じは全くなかった。何故に新病院を作らなければいけないのか。80億円(土地代10億円を含む)を投じて。古い城下町である大聖寺の街はますます寂れるだろう。
 日本人は健忘症で、体勢順応する人が多いと、評論家で文学者の加藤周一氏がそういう主旨のことを述べているが、歴史に学ばない、歴史上に集積されてきたもの(例えば歴史的な街並み)を大事にしないということなのだ。 新病院の外観、色や形についても文句を言いたくなるが、一つだけ見直したことがある。それは病院の半面に田んぼが広がっており、遠くに白山山系、その山際に民家が点在して、美しい日本の田園風景を見ることができるということだ。待合室に座って、大きな窓ガラス越しに広がる青田にウットリとし、心洗われる思いがした。その時は六月下旬だったが、収穫時の黄金色、さらに晩秋から冬、田植え前の頃、季節によって風景、色彩は変る。この日本の風景、これは作品の題材になることは言うまでもない。私のモチーフなのだ。
 しかし、問題は北陸新幹線。金沢から関西への工事がすでに始まっている。今年に入って、鉄路設置のため、資材置場のため、広大な田んぼが潰された。先人が汗や血を流して作り、何代にもわたって受け継がれてきた美事な田んぼが消えてしまった。人々はさらにこれからも便利さ、経済成長を求めていくのだろうか。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.47(2017年10~12月号)に掲載されたものです

九谷吸坂窯便り 第14回

硲伊之助美術館では館内正面に大皿、右側面のケースには中皿や小皿、向付などが展示されている。大半は色絵付されたもので、来館者は皿立てに置かれた状態などで、ガラス越しに作品を見ることになる。人々はこれらが陶磁器(やきもの)ということで、食器として使うことを頭に浮かべるようだ。「大皿は食器として使うのでしょうか」という質問をよく受ける。
 硲伊之助が取り組んだ九谷焼は、古九谷を原点として意識するもので、古九谷はどこに特徴があるのかと言えば、その絵画性にある。色を付ける、色彩で表現する世界だと言える。その根本は色の調和を求めているところにある。したがって作品を見て、第一に色を感じてほしいということになる。
 器というよりも生活の中の装飾品ということになるが、やきものは油絵と違って形ある生地に絵付けするので、その絵付けされた生地(器)を手で触れて味わうことも、鑑賞の大きな要素に違いない。それが良いものであれば、ある種、不思議な感情に誘ってくれ、心豊かな気持ちになる。釉薬や器の形、厚さ薄さ加減の微妙な変化、肌ざわりを感じることも、やきものならではのことだ。
 やきもの、器ということなので、食器として使えるのだが、染付のものなどに比べて色絵のものは料理に合うかどうか難しいところがある。だとしても、それはその時々の料理に合うように、その人の感覚で使いこなせばよい。
 先日、一人の来館者があった。四十才台に思えた男性で、東京にお住まいとのこと。わざわざ尋ねてみえたようで熱心に見ていた。九谷焼が好きだとのことで、少し意外な感じがしたが、やおらスマホを取り出して、数日前にネットで手に入れたという画像を見せてくれた。それが何と硲伊之助作「ひなげしと矢車草皿」だった。
その情報を知らせてくれた人がいて、私もそれを前に見ていた。同作品は何点かあり、硲美術館ではすでに所蔵しているので、美術館での購入は考える必要はなかった。画像からではあるが、それは相当良い出来具合に見え、その後どうなったのか気になっていた。
 彼は手に入れたことを大変喜び、それが硲美術館への訪問になったとのこと。そして九谷焼が好きだと。意外に思えたのは、大方の人に反して食器ではなく飾皿として、見ていることで、この意外性は私にとって、嬉しいことだった

※本記事は夢レディオ編集室Vol.46(2017年7~9月号)に掲載されたものです