夢レディオVol.52 配布中

「夢レディオ編集室 Vol.52」に掲載中の「九谷吸坂窯便り 20」ではP氏ことピアティエンティーニ富美子さんについてです。

夢レディオ編集室は、福井県丹南地域を中心に県内全域で無料配布中のフリーペーパーです。 お近くにお住まいの方は是非ご覧ください。

九谷吸坂窯便り 第13回

「九谷吸坂窯」建設、その土地の売買と、登記は何かと見通しがついたが、工房兼住居の建設については、二進も三進もいかなくなり頭を抱えていた。そのような時、小松滞在の折に定宿にしていた旅館の主人に愚痴をこぼしたところ、紹介してくれたのが蓮井棟梁だった。蓮井さんは身の丈六尺の偉丈夫、濃い眉毛、大きな目がやさしい人だった。事情を話すと「よく分った、何とかする」と引き受けてくれた。吸坂にやってきた蓮井さんは首尾よく悪党職人どもを総入れ替えし、仕事にとりかかった。棟梁は先生の古九谷につながる九谷焼制作への熱い思いに共感し、損得なしで働いてくれ、建物は出来上がった。蓮井棟梁の出現が挫折の危機を救ってくれたと言えよう。

但し、問題はあった。一つは水のことで、吸坂町は平野部に突き出た丘というか高台にあるため、水道の出が悪かった。そのため地下水を汲み上げてみたり、水を溜めるタンクを高い所に作ったりした。今は水道の圧力が増し、水の問題は解決している。他の一つは経済問題。先生の経済環境は比較的恵まれていたとは言え、それほどの余裕はなく、建設資金は銀行からの借金ということになり、その返済に苦労することになった。私も先生と一緒に大皿を持ってある人を尋ねたことがあった。その時はうまくいったが、大阪まで思い皿を抱え、わざわざ行ったのだが断られたこともあった。一九七二年に大聖寺の清水喜久男さんが「九谷吸坂窯」直売店の暖簾をあげてくれたことで大いに助かり、経済問題も一応乗り切ることができた。

吸坂という場所は、地図上、加賀市の真ん中の位置しており、国道八号線のそばで、山代、山中温泉へも近いという好位置にある。そのせいか、まずは観光業者に目を付けられ、谷に水を溜めて釣堀にしませんかなどと、とんでもないことを言ってきた。ドライブインをやっていたこの業者は、それから間もなくして倒産し、そのあとにやって来たのが土建屋。山向うの隣接地で、連日、重機でぶっ壊した建材を、掘った穴の中に投げ込み、燃やしていた。このことは法律で禁止され、止んだと思ったら、山を削り、住宅会社と結託して宅地を作ろうとした。これもバブルがはじけてその住宅会社は破産した。ところが、地面を作るために谷を埋め、杜撰な工事をやったので、「九谷吸坂窯」のある両側の谷に生活廃水と雨水が溜り、増え続けていた。谷に半分近く土を入れて側溝を設置することで解決する他なく、止むを得ず私たちはその案を呑んだ。重機の騒音に悩まされる日が続いたが、曖昧だった境界を確定できた。しかしその後、景観破壊のゴルフ関係の施設ができ、問題は尽きることはない。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.45(2017年4~6月号)に掲載されたものです

九谷吸坂窯便り 第12回

硲伊之助美術館を訪れた人は時々、「広い地面ですね」とつぶやく。山を削り、工房兼住居を建てるために台地が作られた。谷を必要以上に埋めることはなかったので平らな所は少ない。町中を通る道路や隣りの家から少し離れているのは、制作環境として一定の静けさを求めたからだ。
 吸坂町の人の協力もあって土地の取得は思ったより順調に進み、宅地造成に動いていたブルトーザーはそのまま「九谷吸坂窯」建設に使うようになった。
 大聖寺川上流旧九谷村にある古九谷窯跡を見るため、途中で立ち寄った村落、我谷村でのダム建設によって消滅する菅屋根民家との出会い。その村落では長い間火事がなかったので菅屋根民家が残っていた。先祖代々住み続けてきた家屋をダム建設のため壊され、その地を去らねばならないことに、集落の人々は納得いかない表情を浮べていた。何とかしてほしいとの思いが伝わってきた。これらの民家は江戸時代初期のもので古九谷の時代と重なる、これを移築、再生することに決めたことが、吸坂の土地購入へとつながっていった。
 「九谷吸坂窯」建設が始まったが、住居は東京に在り、東京での用事も多々あって、その進捗状況を逐一見てはおれない。それでも出来るだけ出かけることにしたが、ある時は土をやたらに削っていたので、それ以上はとらないようにと慌ててストップ、ストップと叫んだこともあった。
 いずれにしても町のボスに頼らざる得ない状況で、他には誰一人、知り合いのいない土地だった。そのような中で、そのボスはいろいろと相談にのってくれる親切な人だった。我谷村の古民家と解体移築し建設する大工、その屋根を菅でふく屋根屋、さらに石屋、壁谷など全て彼の手引きによって進行していった。ところが、その職人達がとんでもない連中だった。棟上げの時しか顔を見せないピンハネ大工、温泉旅館に泊り、毎晩好きなだけ酒を飲みやってくる屋根屋など、それでも請求書だけはきちんと持ってきた大工に、さすがの硲先生も「一本でもまっ直ぐに立っている柱があるのか」と怒鳴った。
 一方、土地の取得は進んだとは言え、不在地主がいたり、登記していない土地が大半だったので、登記簿を作らなければいけなかった。大聖寺の司法書士に入ってもらい、当方の地主との折衝は東京のKさんに頼んだ。Kさんがいろいろと調べてみると、私文書偽造してとんでもないことをやろうとしていたことが発覚。Kさんは村人を怒鳴りつけた。その後東京から何度も通ってもらい登記簿は出来上がった。

※本記事は夢レディオ編集室Vol.44(2017年1~3月号)に掲載されたものです